英紙デイリー・テレグラフによると、元宝石商というジノビッチさんは友人や地元のコレクターたちに会うため、たびたび母国の首都サラエヴォへ渡航。米国やサラエヴォのアンティークショップで見つけたコレクションを見せ合っては楽しんでいるそうだ。そして、先週もサラエヴォに降り立ったジノビッチさんが、いつものように店を巡って掘り出し物を探索しているとき、出会ったのが件の男性だった。
男性はサラエヴォで歯科医をしているNadir Bicakcicさん。するとジノビッチさんは、名前を聞いて1枚のはがきを思い出した。それは表にはハッキリと刻まれた宛先や差出人、本文、“1915年6月13日”の日付、裏には兵士の集合写真という、カリフォルニア州ロングビーチで開かれたアンティーク販売の催しで発見した絵はがき。ジノビッチさんはこれを50ドル(約4,500円)で購入したそうだ。
はがきはサラエヴォに住む「Asim Bicakcic」さんに宛てられ、差出人には「Edhem」という名が記されていた。クロアチア紙24sataには、はがきの写真が掲載されているが、95年前の物とは思えないほど文や消印がきれいに残っていることが分かる。この存在が頭に残っていたジノビッチさんは、出会った翌日に再びBicakcicさんと対面。はがきを見て、Bicakcicさんは「しばらく凍りついた」と話している。
はがきを出したのは、彼の祖父のEdhemさん。Edhemさんは、第一次世界大戦で出征していたハンガリーでこのはがきを書き、投函したらしい。裏の写真には祖父らしき男性が「右から3番目」にいたそう。戦争後は帰国を果たし、サラエヴォ市長にまでなったという祖父のはがきは、妻に渡すようにと添えられてサラエヴォの親類宛てに送られたものの、戦争の混乱で届けられることはなかったようだ。
こうして95年の時を経て、ようやく家族の元にたどり着いた1枚のはがき。現在48歳のBicakcicさんは1941年に亡くなった祖父と直接顔を合わせることはなかったが、95年前の手紙を受け取ることができ、感慨深い様子だ。はがきそのものは家宝として大事に保管するというBicakcicさん、裏の写真を拡大して壁に飾る予定と語り、今後はゆっくり祖父と顔を合わせていくつもりだという。