その坂本選手に対する報道では盛んに「10代選手」ということがクローズアップされているけれど、巨人の「10代選手」の活躍で思い出すのが99年オフに入団した條辺剛・元投手。甲子園未経験ながら巨人にとってこの年唯一の高卒ルーキーで、188センチの長身から繰り出す150キロ近いストレートを武器に、00年には球団史上2人目となる高卒ルーキーで先発を務めたほか、翌年には桑田真澄投手以来、14年ぶりの10代投手開幕1軍入り。さらに同年、10代投手として球団史上初のセーブを記録するなど、将来を嘱望されていたのだ。
その期待に応え、02年には抑えの岡島秀樹投手(現ボストン・レッドソックス)へとつなぐ中継ぎとして大車輪の活躍をし、チームの日本一に貢献。しかし、翌年以降はこれまで酷使されたことによる疲労と故障で思うような成績を上げることができず、05年に自由契約となった。合同トライアウトを受けるも獲得球団はなく、24歳にして引退を余儀なくされたのだ。当時は、酷使の果てに放出した球団に対して、少なからず批判が寄せられていた。
そんな條辺さんが再びクローズアップされたのは、引退から2年を経た昨年のこと。故郷・徳島県のお隣、香川県の讃岐うどん店で修行している様子をテレビ番組が相次いで特集し、退団後に同郷の先輩であるプロ野球解説者・水野雄仁さん(元巨人)の勧めで宮崎県のうどん店に勤めたのち、独立開業を目指して本場・香川県にやってきたことなどを明かしていた。創業60年の老舗「うどんのなかにし」で働く條辺さんの姿に、多くのプロ野球ファンが関心を寄せたのだ。
こうした修行を経て、ついに4月14日、埼玉県で自身の讃岐うどん店「條辺」をオープンすることとなった。当初は同県富士見市での出店を考えていたようだけど、適地が見つからなかったのか、お隣のふじみ野市にある東武東上線の上福岡駅近くに決定。のれん文字は、條辺さん入団時の監督である長嶋茂雄さんが担当した。長嶋さんが脳梗塞発症後に公共の場で文字を入れるのは、アテネ五輪の日の丸に書いた「3」以来のことなのだとか。
「うどんのなかにし」での修行中から「関東の人たちに安くておいしい讃岐うどんを味わってもらいたい」(徳島新聞より)と語っていた條辺さん、その気持ちは現在も変わっておらず、「小麦粉が高くなって大変だが、本場の讃岐うどんを関東で安く提供したい」(スポーツ報知より)と、1杯380円で提供する模様。体格の良い條辺さんが打つうどんは、さぞかしコシが強いことだろう。営業時間は、本場にならって午前7時〜午後3時。地元の人たちにとって、良い朝食・昼食となりそう。
元プロ野球選手で讃岐うどん店を経営するのは、大リーグやロッテ、阪神で活躍した伊良部秀輝さんに続く2人目。條辺さんの店も、伊良部さんが米国で展開しているチェーンのように、大きく成長することが期待されるのだ。