ぼくは今年、3月のホワイト・ストライプスの日本公演でも、7月のフジロックでラカンターズが出演したときもジャックの鬼気迫るステージングを堪能したのだけど、今回のインタビューでは、生い立ちや音楽的ルーツ、ロックに対する考え方、ホワイト・ストライプスが英国でブレイクしたときの心境などを赤裸々に語っている。1978年生まれで10人兄弟の末っ子ということや、両親が教会で働いていたこと、幼い頃は司祭になりたかったことなどは初耳だったのだ。初めて買ったアルバムは、ザ・フーのベスト盤『Meaty Beaty Big and Bouncy』とのこと。
そして、人生の転機ともいうべき音楽に出会ったのが、18〜19歳のとき。デルタ・ブルースの父といわれるサン・ハウスのレコードを聴いた際に、「あれは僕の音楽観がすべて変えられるくらいの衝撃的な出会いだったんだよ。ソングライターとしてもね」というほど、ブルースに魂を奪われたようなのだ。
また、激しく変幻自在のギター奏法で有名なジャックだけど、普通のコードが押さえられないこと、交通事故で人差し指をケガしたため中指と薬指、小指の3本で演奏していることなども語っている。うーん、やっぱり天才なのだ。
さらに、室内家具装飾職人の弟子になった経緯やホワイト・ストライプス結成、英国でサード・アルバム『ホワイト・ブラッド・セルズ』が大ブレイクしたときのことまで言及しており、ブレイク時の心境として「僕らはきっと2秒くらい有名になって、すぐにみんなに嫌われて、きっと僕らですらホワイト・ストライプスにいたことを恥ずかしく思うおうになるに違いない、僕らは悪いジョークになり下がるに違いないって思ってたんだ」と語っている。こうした慎重なところは、ミュージシャンとしてだけではなく、経営者としても優れているところを示しているのだ。こうした心境から、英音楽誌NMEが「表紙に使いたい」と持ちかけたときに「絶対に嫌だ」と断っているのだけど、無断でライブのときの写真が表紙を飾ってしまったという秘話まで披露している。
その後、自身でも逆らうことができなくなったブームによって、ミュージシャンとして生きていくことに対して腹をくくっている。「この先、溺れ死ぬか泳ぎきるかしか、それしか道は残されてないってことがわかったんだ。それで僕らは泳ぎきる道を選んだってわけ」。たとえが上手いなあ。
「とにかく、今はたくさん、たくさんレコードが作りたい」「一刻もはやく世に出したい」と語るジャック。ブレイク当時の迷いは微塵もないようなのだ。すでにたくさん曲が完成しているそうで、それがホワイト・ストライプスになるかラカンターズになるかは分からないけれど、近いうちに彼の最新作が聴けそうなのだ。