清原選手は試合後の記者会見で、この記録達成について次のように語っているなり。
「言葉が見つからない。心からうれしい。第1打席から打ちたい気持ちが強かった」
「一塁まで走っていくのが、雲の上を走っているようなふわふわした感じで感無量だった]
「今まで、今日みたいなすばらしい日があれば、土砂降りの嵐のような日もあったけど、野球を続けて良かったと実感する1日になった」
「2001本目の本塁打は、五十嵐君の初球の156キロを見て、伊良部君の158キロを思い出した。全身から、うーん……何と表現していいか分からないけど、思い切って振ってやろう、と。プロ生活でも5本の指に入る快心の当たりだった」
清原選手はこの試合、初回のヒットで2,000本安打を達成したあと、9回に自身への祝砲となる本塁打を放っているなりが、この打席のときに現阪神の伊良部秀輝投手の剛速球を思い出した、と回顧しているなりね。いまだ語られることが多い、清原vs.伊良部の「力と力の真剣勝負」は、本当に見応えがあったし、今の野球界ではなかなか見ることができないシーンでもあるなり。
コ○助はPL学園の頃の清原選手をよく覚えているので、やっぱり選手としての凄みを感じていたのは高校時代と、西武時代。とにかく打つたびに、「豪快」という言葉がこんなに似合う選手がいるものなのか、と感心させられたものなり。巨人に移籍してからは故障がちだったり、他の選手との兼ね合いで出場機会が少なかったりと、あまり良いイメージが無いなりよ。
実際、今年もロベルト・ペタジーニ内野手との併用されているために、なかなか満足がいく成績が残せないでいるなりよね(5日現在、打率.247、10本塁打、25打点)。まあ巨人への移籍を決めたのは本人の判断なので仕方ないなりが、もしFA権を取得した際に西武に残留、もしくは巨人以外の球団に移籍していたら、2,000本安打を達成するのが36歳までかかるということは無かったのかも。と、そんな仮定の話は何の意味もないなりが、これまで度重なる引退説を乗り越えて達成した2,000本安打。本当におめでとうございますなり!