伊藤投手はバルセロナ五輪日本代表のエースとして、銅メダル獲得に貢献。1992年、広島、オリックス、ヤクルトの3球団競合の末、ヤクルトにドラフト1位として入団。ルーキーイヤーの1993年(シーズン中にケガをしたので7月まで)は14試合に登板、7勝2敗、防御率は0.91と、まさに驚異的な成績を残したなりね。その後はケガとの戦いが続く野球人生。鮮烈なデビューを飾り、もの凄いインパクトを与えたのは、このルーキーイヤーだけだったかもしれないなり。ちなみにこの年のルーキーには松井秀喜外野手もいたなりが、新人王を獲得したのは伊藤投手だったなりね。それくらい、すさまじい投手だったなりよ。コ○助も、今でも鮮明にその投球を覚えているなりよ。絶対に打てる気がしない、その投球を。
で、今年の10月25日、コスモス・リーグの巨人戦。伊藤投手は打者3人に対し、わずか17球。最高速はわずか109kmと、過去の思い出と重ねるにはあまりに酷な、現在の姿がそこにあったようなり。
球団としてはすでに来季は戦力構想外ということで、解雇の可能性が濃厚。伊藤投手本人はまだ現役にこだわりたいようなりが、果たしてヤクルトが来季の契約を結ぶかどうか。伊藤投手の豪腕はもう戻らないとは思うなりが、もう一度1軍で投げている姿を見たいと思うのはプロ野球ファン共通の願い。どうか、最悪ヤクルトでなくても、契約をしてくれる球団が現れることを祈るなり。